死にたいと言えない世の中はポイズン


おこんばんは。

ただいま深夜3時です。
課題やってたらこんな時間でした。

今夜の白菜の言いたいことはですね。ずばり!『死にたいと言わせろ!』です。
なんか顰蹙買いそうですが‥いいんです

最近まで白菜も、「死にたいなんて簡単に言っちゃダメだよ(>_<)」と思っていました。

でも、近頃めちゃ「死にてぇー」て大声で言いたい時が増えまして、でもでも白菜の中の「死にたいストッパー」がそれを拒んでいたんです。

そもそもなんで「死にたい」と気軽に言わなくなったか?

確か、中学のころだと思いますが、ある男子が「死にてぇー」みたいなことを言ったんですね、そうしたら生徒会長とかやっちゃう秀才女子が「生きたくても生きられなかった人がいるのに、そんなこと言っちゃダメだよ!」って、24時間テレビの見過ぎみたいなことを言い放ったのです。

白菜はそれを近くで聞いていて、「あ、好かれる白菜になるには、死にたいって言ったらダメなんだ」とクソ素直に思ってしまったんです。

それから10年ほど経ちましたが、最近までずっとそれが身体化されてしまっていたんです。

だから、辛いこととか嫌なことがあっても「死にたい」は封印してたんです。


でもね、実は今日なんですけど、まあいろいろめんどくさくなって、友達の前で「死にてぇー」って言ってみたんです。

すると!10年間の呪縛が解きほぐされ、めちゃ気持ちよかったんです!
きっと、「好かれたい」が為に「死にたい」を禁句にしていたけど、その「誰にでも好かれたい」みたいな体裁を作っていた自分からも解放されたんですね。
というのも、気のしれた仲間の前だから言えたところもあると思います。

そもそも「生きたくても生きられなかった人がいるのに死にたいとか言っちゃダメ」という言説はよく聞くんですが、果たして真っ当な意見なんですかね?

正直、その生きたい人と私の関係てなんなんでしょう?
身近な人が亡くなったら、「死にたい」という言葉にセンシティブになるのもわかります。
てか「生きてることに感謝しながら生きよう」という概念を押し付けられるのって、めっちゃ気持ち悪いんですけど。
別にお前に言われたくないわって思っちゃうんですよ、正直。

死ぬことがいいこととまでは思わないけど、「死にたい」という一言を言えずにストレス溜めるなんてアホくさいと思ったんです、単純に。

こんな感じで自分で自分を縛ってることはいっぱいあるんだろうな〜


まあ、とりあえず、「言いたいことも言えない世の中はポイズン」てことで!